日本酒関連では唯一の日本遺産(Japan Heritage)
日本酒関連では唯一、日本遺産(Japan Heritage)【「伊丹諸白」と「灘の生一本」 下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷 】が令和2年6月に認定されました。
文化庁がが認定する日本遺産は、2020年に100件程度の認定を目指してきましたが、最終年の今年、神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市(幹事市)の5市が申請を行った【「伊丹諸白」と「灘の生一本」 下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷 】が認定されました。これは、日本酒に関するものとして唯一の日本遺産認定です。
日本遺産とは?
「日本遺産(Japan Heritage)」とは、地域の歴史的魅力や特色の、文化・伝統を語る「ストーリー」を日本遺産として文化庁が認定し、ストーリーを語る上で不可欠な有形・無形の様々な文化財群を地域が主体となって活用する取組みを支援し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくこと事で、地域の活性化を図ることを目的とするものです。
日本遺産(Japan Heritage)登録の条件とは?
①ストーリー
・歴史的な経緯や、地域の風土に根ざして世代を超え受け継がれている伝承や風習等を踏まえたストーリーであること。
・単に地域の歴史や文化財を説明するのではなく、ストーリーとして、単一の市町村内で完結もしくは、複数の市町村にまたがって展開する内容になっている事。
②文化財
ストーリーの中核に、地域の魅力として発信する明確なテーマが設定されており、建造物や遺跡・名勝地、祭りなどの地域に根ざして継承・保存がなされている有形・無形の文化財が据えられ、国指定・選定文化財を必ず一つは含めていること。
「伊丹諸白」と「灘の生一本」 下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷
この日本遺産のストーリーは、伊丹諸白の発展から樽廻船による下り酒、灘五郷の灘の生一本の誕生、近代の酒造家が育んだ文化によって構成されています
伊丹諸白
江戸時代の初期から諸白の清酒を江戸へ出荷していた銘醸地 兵庫県伊丹市。当時の江戸銘酒番付で最高位の大関に、今でも市内に蔵を構える白雪や老松、当時は伊丹に在り今は灘五郷で酒造りをしている剣菱などを見ることが出来る。これら伊丹の上酒は、このように江戸で下り酒として珍重されました。今でもこれらの蔵や、日本で現存する最古の酒蔵である旧岡田家住宅を始め、多くの酒造道具や資料が市内に保存されています。
下り酒
江戸時代初期には陸路で出荷されていた伊丹酒ですが、その後、酒輸送専用の樽廻船で大量輸送が行われる様になりました。樽廻船のスピードは早く、当時行われた「新酒番船」という新酒配送の一番乗りを競う競争では、なんと西宮~江戸間を57時間という記録が残っているそう。また、外洋を航海する樽廻船で、輸送時に揺れても樽を保護する菰を掛けた菰樽が開発されました。これら樽廻船にまつわる港の灯台や、菰樽作りは現在にも伝わっています。
灘の生一本
時代が下り、伊丹につぎ、六甲山から流れる川の急流を利用した水車精米や樽廻船の水運の利を活用して現在でも日本一の出荷量を誇る銘醸地 灘五郷。ここで酒造りを支えた丹波杜氏は、背後に聳える六甲山からの「六甲おろし」を活用した重ね蔵による寒造りや三段仕込みなど、現代に伝わる酒造技術を確立しました。丹波杜氏が使用した数々の酒造道具は酒造会社の記念館などに保管されており、今でも見ることができるほか、酒造りの時に歌われた酒造り唄も蔵開きなどで聞くことができます。
灘五郷の東部、兵庫県西宮郷で汲み上げられる「宮水」は灘の生一本の代名詞とも言える「灘の男酒」を生みます。宮水は西宮市水保全条例など行政と民間の力で水質が保全されています。
酒造が育んだ文化
江戸積み酒造で富を得た酒造家は、この富を文化や教育、建築に注ぎました。これにより、現在では国宝や重要文化財に指定されている古美術品を所蔵する白鶴美術館や、今でも完全な状態で現存する、貴重なフランクロイド設計の住宅「旧山邑家別邸」(現ヨドコウ迎賓館)、昭和4年建築の建築が今も残る「灘・中学校,高等学校」の開校など、これら酒造家の眼差しは「阪神モダニズム」と言われる近代文化勃興の核となりました。
Text:山路日出夫
この記事の筆者
日本ツーリズム運営局(オフィスイチヤマ)
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