日本酒地理的表示「GI伊丹」が指定されました。
GI伊丹
日本酒の地理的表示(GI認証)の17例目として、「伊丹」が、令和6年11月29日に指定されました。

GIのシンボルマーク問い合わせ中です
酒類の特性について
伊丹の清酒は、適度な甘味とキレのいい酸味が感じられる酒質です。口に含むと、甘味や旨味からなるコクが広がるとともに、適度な酸味と苦味による余韻のキレが味全体に締まりを与えており、原料である米由来の甘味の中にきれいですっきりとした味わいが感じられます。
特に、本醸造酒・吟醸酒・大吟醸酒は、甘味、旨味及び酸味のバランスがとれた、さらにキレのある酒質となっています。
気候風土
伊丹市は、兵庫県の南東に位置し、六甲山や長尾山など北摂山系の山々に囲まれた、猪名川(いながわ)と武庫川(むこがわ)の間になだらかに広がる丘陵地にあります。
この辺りは数万年前には海が広がっており、時代の変化とともに隆起した地盤に猪名川と武庫川が運んできた砂礫が積もり重なることにより、貝殻を含んだ粘土層と砂礫層が重なり合う特徴的な地層を形成しました。
北部の長尾山・北摂山系の山々に蓄えられた水は、これらの地層を通ることによって、適度なミネラル分を含む中硬水となっているものと考えられ、この豊富で清らかな水を酒造用水に用いることによって、もろみの発酵をほどよく促し、より「きれい」で渋みの少ない、すっきりとしたのど越しの良い酒質を生み出しています。
また、伊丹市は、冬季に降水量が少ない瀬戸内気候です。北西からの季節風が六甲山に遮られ、雨を降らせた後の乾いた風が吹き下ろすことにより乾燥した気候となるので、適度な甘味と旨味をもたらす、精込み(はぜこみ)が適度に進む麹造りを可能にしており、寒づくりに適した地域です。
人的要因
この地域の酒造りは、かつての城下町である伊丹郷町(いたみごうちょう)が発展した江戸時代に始まりました。天正2年(1574年)、織田信長の家臣であった荒木村重(あらきむらしげ)が伊丹城(有岡城)に入城し、城下町の整備を行ったことにより伊丹郷町の礎が形成され、寛文元年(1661年)には京都の公卿、近衛家(このえけ)の領地となり、その庇護のもと酒造業が発展していきました。
この時代の酒造りは、おもに京都や奈良の寺院での僧坊酒造業として行われていましたが、伊丹を中心とする上方においては、商人により営業化され、江戸市場への出荷を主軸とした江戸積酒造業として発展したことが伊丹の酒を語る上で欠かせない特徴の一つです。
そして、痛みやすい日本酒を江戸へ出荷するための伊丹の醸造技術として、木灰により清酒中の物質を吸着し沈殿させることにより酒を清ませる製法である木灰清澄法(もくはいせいちょうほう)と、江戸への輸送の際の品質維持を目的としてもろみに焼酎を加える柱焼酎が挙げられます。これらの技術の開発により、他地域と異なり上質な酒を江戸に送ることができました。
江戸時代の庶民の食品について解説した「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」によりますと、麹米と掛米双方に白米を使用した「伊丹諸白(いたみもろはく)」は「丹醸(たんじょう)」と呼ばれ、江戸で人気を博すようになりました。江戸市場において伊丹の酒は高級品であり、元文5年(1740年)頃になると、将軍家の「御前酒」となり重宝されていたことからも当時の人気ぶりがうかがえます。
原料及び製法
原料としては、米及び米こうじ国産米を用いている事。
産地の範囲で採水した水のみを用いていること。
酒税法に規定する「清酒」の原料を用いていること。ただし、清酒の原料のうち、米・米こうじとアルコール(米(こうじ米を含む。)の重量の100分の10を超えない量)以外は用いることができない。
酒税法の清酒の製造方法により、産地の範囲内において製造し、貯蔵、容器詰めしたものであること。
ろ過剤に活性炭を使用したものであること。
管理機関
管理機関の名称:伊丹酒造協同組合
住所:兵庫県伊丹市伊丹1丁目1-19
電話番号:072-770-2200
メールアドレス:itamisk@oak.ocn.ne.jp
地理的表示「伊丹」を使用するためには、これを使用する清酒の製造場から出荷するまでに、各規定について管理機関が作成する業務実施要領に基づいて確認を受けなければなりません
(Text : 山路 日出夫)
この記事の筆者

日本ツーリズム運営局(オフィスイチヤマ)
日本ツーリズムは日本酒に対する潜在的な需要を発掘すると共に、日本各地の蔵元さんとユーザーをつなぎ、日本酒で地方を元気に、そして日本を元気にして行くと共に、世界へ日本酒の魅力を発信していくことを目指して行きます。
office-ichiyama.com