奈良酒の歴史と伝統を、未来へ。
日本酒発祥の地・奈良が育んだ酒造りの精神と、次代への挑戦
「おいしいSAKEウォーク in 大阪2026」特設会場トークショー
奈良豊澤酒造株式会社 代表取締役社長・豊澤孝彦氏 × FM COCOLO・加美幸伸氏

2026年10月31日(土)に開催された「おいしいSAKEウォーク in 大阪2026」。全国各地から集まった酒蔵と飲食店が、酒と食の魅力を通じて街をつなぐこのイベントでは、特設会場に酒蔵の造り手を迎えたトークショーも開催されました。
今回登壇いただいたのは、奈良県奈良市に蔵を構える奈良豊澤酒造株式会社の代表取締役社長、豊澤孝彦氏。FM COCOLOの加美幸伸氏をMCに迎え、全3回にわたって「奈良酒」をテーマに語っていただきました。
日本酒発祥の地ともいわれる奈良の歴史、酒造りに受け継がれる技術と職人のこだわり、そして日本酒を取り巻く環境の変化と未来への展望。3回のトークを通じて浮かび上がってきたのは、長い歴史を誇る奈良酒の価値と、それを次の時代へつないでいこうとする造り手の強い思いでした。
日本酒発祥の地・奈良。その歴史は平城京から始まる
米を原料とする酒造りの原点
奈良酒の話は、日本酒の歴史そのものへと遡ります。
710年に平城京が築かれた時代、現在の大極殿の東側にあたる場所には、酒造りを担う「酒の司」と呼ばれる施設が置かれ、米を原料とする酒造りが行われていました。当時の酒は、現在のように一般の人々が日常的に楽しむためのものではなく、朝廷や天皇への献上、神事などに用いられる特別なものでした。
米以外の穀物を原料とした発酵酒はそれ以前から存在していましたが、米だけを原料とする酒造りが行われていたことを示す古い遺構が、奈良の平城京跡に残されています。こうした歴史的な背景が、奈良が「清酒発祥の地」「日本酒発祥の地」と称される理由の一つとなっています。
正暦寺が築いた、現在につながる醸造技術
その後、平安時代になると、酒造りの担い手は朝廷から有力な寺社へと移っていきます。奈良では東大寺や春日大社などでも酒造りが行われ、なかでも重要な役割を果たしたのが、奈良市東部の山間にある正暦寺でした。
正暦寺で造られた酒は品質の高さで知られ、その醸造技術は全国の寺院へと広がっていきました。室町時代末期には、濁った酒から澄んだ酒へと発展し、現在の清酒造りにつながる醸造工程の礎が築かれたといいます。
さらに江戸時代には、奈良を含む関西の酒が樽廻船によって江戸へ運ばれました。約1か月をかけて運ばれる間に酒が熟成し、江戸の人々にもその味わいが親しまれていったという話も紹介されました。
奈良酒の歴史は、単に古いというだけではありません。今日の日本酒造りにつながる技術がこの地で育まれ、全国へと広がっていったことに大きな意味があります。
奈良の風土と暮らしに根付いた、酒造りの知恵
食文化とともに受け継がれてきたもの
トークでは、奈良の食文化と酒造りの関係についても話が及びました。
海に面していない奈良では、古くから保存食の文化が発展してきました。奈良漬をはじめ、食材を無駄なく生かす知恵が地域の暮らしに根付いています。
酒造りにおいても、酒粕や米ぬかなど、製造の過程で生まれる副産物を活用する工夫が重ねられてきました。酒造りで生じる米の削りかすは、用途に応じて飼料や食品原料、化粧品などに利用されています。酒粕も含め、酒造りから生まれるものをできるだけ無駄にしない仕組みがあるのです。
こうした取り組みは、現代でいう持続可能なものづくりにも通じます。地域の暮らしの中で培われてきた知恵が、今日の酒造りにも受け継がれていることが印象的でした。
奈良豊澤酒造、創業158年の歩みと酒造りへのこだわり

「豊祝」に込められた、豊かに祝うという思い
奈良豊澤酒造は、明治元年(1868年)に創業。2026年で創業158年を迎える歴史ある酒蔵です。「豊かに祝う」と書く代表銘柄「豊祝」を中心に、日本酒の製造・販売を続けています。
年間生産量は約4,000石で、奈良県内でも比較的規模の大きな酒蔵です。製造量の85%以上が特定名称酒であり、吟醸酒から日常の食卓で楽しむ普通酒まで、幅広い商品を手がけています。
豊澤社長が家業に戻ったのは平成8年(1996年)。当時、奈良県には約42の酒蔵があり、さらに古い時代には60蔵近くが存在したといいます。しかし、日本酒の消費量の減少や流通環境の変化などを背景に、現在では奈良県内の酒蔵は28蔵となり、そのうち27蔵が奈良県酒造組合に加盟しています。
大量生産から、自社ブランドの価値を高める時代へ
日本酒の生産量が全国的に最も多かったのは昭和48年(1973年)頃。当時は普通酒が中心で、地方の酒蔵が造った酒を大手メーカーが買い取る「桶売り」という取引も盛んでした。奈良の酒蔵も、こうした取引によって経営を支えていた時代がありました。
しかし、日本酒の消費量が減少し、大手メーカーの生産設備が自動化・効率化されると、地方の酒蔵から酒を購入する必要性は次第に薄れていきます。その結果、多くの蔵が厳しい経営環境に直面することになりました。
そうした変化の中で現在まで残ってきた酒蔵に共通するのは、大手メーカーへの桶売りに依存するだけでなく、自社ブランドの酒を地元の酒販店や消費者に届ける努力を続けてきたことだと、豊澤社長は語ります。
自分たちの酒を理解してくれる人に届け、その価値を認めてもらう。その積み重ねが、今日の奈良酒を支える礎となっているのです。
機械化が進む時代だからこそ、人の五感を大切にする
酒造りの心臓部「麹造り」へのこだわり
豊澤社長が酒造りにおいて特に大切にしているのが、品質を左右する工程における人の感覚と技術です。なかでも、酒造りの心臓部ともいえる麹造りには強いこだわりを持っています。
蒸した米に麹菌を振りかけ、温度や状態を管理しながら、およそ48時間かけて麹を育てていきます。麹は生き物であり、その日の状態によって変化します。温度や時間といった数値だけでは判断できず、米の状態や麹の様子を見極め、適切なタイミングで手を加える必要があります。
近年は酒造設備の進化によって、米洗いや浸漬時間、温度管理などを数値化し、安定した品質を再現できるようになりました。しかし、豊澤酒造では麹造りの工程を機械化せず、人の手と判断を大切にしています。
また、吟醸酒の袋搾りも、豊澤社長がこだわる工程の一つです。香りやまろやかな味わいを大切にするため、人の手をかけて丁寧に酒を搾ります。
手造りとは、すべてを手作業にすることではない
一方で、すべての工程を昔ながらの方法で行えばよいというわけではありません。品質に直接影響しない部分は積極的に機械化し、その分の人手を麹造りや酒の搾りなど、品質を左右する重要な工程に振り向ける。それが豊澤社長の考える現代の酒造りです。
豊澤社長が蔵に戻った頃には、長年蔵を支えてきた杜氏や職人の高齢化が進むことを見越し、地元で採用した社員とともに酒造りを行う体制への転換も進められました。杜氏から技術や基本を徹底して学んだからこそ、機械化する工程と人の手を残す工程を適切に判断できるといいます。
AIや自動化技術が進歩すれば、将来は人間以上の精度で管理できる工程も増えるかもしれません。しかし、酒造りの原理や基本を理解し、状況に応じて判断できる人材を育てることは、これからも欠かせません。
伝統を守るとは、昔のやり方をすべて残すことではなく、本当に大切な技術や感覚を見極め、次の世代へ伝えていくこと。機械と人の力を適切に生かす姿勢に、豊澤酒造のものづくりの考え方が表れています。
飲み手と直接つながり、日本酒のファンを育てる
「お客様目線」を大切にした酒造り
2015年に五代目蔵元となった豊澤社長が掲げた企業理念は「お客様目線」です。その思いを形にする取り組みの一つが、直営のアンテナショップや立ち飲み店舗の展開です。
奈良や大阪の主要駅など、人々が日常的に行き交う場所に店舗を設け、まずは多くの人に「豊祝」を気軽に試してもらう。日本酒に馴染みのない人にとって、最初の一杯は意外とハードルが高いものです。価格が高く感じられたり、どの銘柄を選べばよいかわからなかったりすることもあります。そこで、手頃な価格で日本酒を楽しめる場をつくり、日常生活の中で自然に日本酒と出会うきっかけを提供しています。
こうした店舗は、単なる販売拠点ではありません。お客様の反応や感想を直接聞き、どのような酒が求められているのかを確かめる場でもあります。新しい米を使った酒を商品化する前に試験的に販売し、飲み手の評価を商品開発に生かすこともできます。
造り手が一方的にこだわりを主張するのではなく、飲み手に共感してもらって初めて、そのこだわりは価値を持つ。お客様との距離を縮め、応援してくれるファンを育てていくことが、これからの酒蔵経営に欠かせないという考えです。
目指すのは、料理を引き立てる「究極の食中酒」
豊澤社長が大切にしているもう一つの考え方は、日本酒は料理よりも前に出すぎてはいけないということです。酒そのものを主役にするのではなく、料理を引き立て、酒があることで料理がさらにおいしくなる。料理があるからこそ酒も進む。そんな関係を目指しています。
特別な日にだけ飲む高級酒だけでなく、毎日の食事とともに楽しめる、飲み飽きしない酒を、できるだけ手頃な価格で届けること。飲食店でも酒の価格を抑えることができれば、気軽に注文しやすくなり、その分、料理も楽しんでもらえるのではないかと語ります。
酒だけで利益を追求するのではなく、料理と酒を一緒に楽しむ時間を提供する。そこには、食中酒を造る蔵元ならではの視点が感じられました。

奈良酒の未来を、地域の蔵元と飲み手とともに
一つの蔵から、奈良全体のブランドへ
トークの後半では、奈良酒の知名度を高め、地域全体で魅力を発信していく取り組みについても語られました。
奈良県酒造組合では近年、県内の酒蔵が一体となって奈良酒をPRする活動に力を入れています。これまでは製造技術を高めるための勉強会や利き酒の研鑽など、蔵ごとの品質向上を目的とした取り組みが中心でした。しかし、優れた酒を造るだけでなく、その魅力を広く知ってもらうことも重要です。
豊澤社長は、奈良が日本酒発祥の地であるという歴史的な背景を、もっと多くの人に正しく伝えていきたいと話します。米どころが酒どころというイメージから、新潟などを日本酒の発祥地と思っている人も少なくありません。だからこそ、奈良の歴史を丁寧に説明し、実際に酒を味わってもらうことが大切なのです。
また、福島県などで見られる酒蔵同士の連携にも注目しています。同じ地域の蔵元が製造に関する情報を交換し、それぞれの酒造りの水準を高めることで、地域全体の評価向上につなげている例です。酒蔵は互いに競争する関係でもありますが、地域の酒の品質や知名度が上がれば、結果として各蔵にも良い影響が及びます。奈良でも蔵元同士の横のつながりを強め、奈良酒全体のブランド力を高めていきたいという思いが語られました。

日本酒を次の世代へ、長い時間をかけて伝える
日本酒の国内消費量は昭和48年頃をピークに長期的な減少が続いています。一方で、海外では日本食レストランの広がりとともに日本酒の輸出が伸びています。2024年12月には「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録され、麹を使った日本の伝統的な酒造りが世界に認められました。
しかし、国内では人口減少や飲酒人口の減少、人手不足など、酒蔵を取り巻く課題は少なくありません。
豊澤社長は、日本酒業界の未来を考えるうえで、大手メーカーも地方の酒蔵も、それぞれの技術や強みを生かしながら業界全体を盛り上げていくことが大切だと語ります。ウイスキーのハイボールが、長い時間をかけた地道な普及活動によって再び広く親しまれるようになった例にも触れ、日本酒も一過性のブームを追うのではなく、日々の取り組みを積み重ねていく必要性を示しました。
酒蔵が酒を造り、販売するだけではなく、飲み手と出会い、会話を交わし、その魅力を伝えていく。酒を酌み交わすことで人と人との距離が縮まり、食事や時間をともに楽しむ。日本酒には、単に喉を潤すだけではない、人と人をつなぐ力があります。
歴史を知り、一杯を味わう。その先にある奈良酒の未来
3回にわたるトークショーを通じて伝わってきたのは、奈良酒が持つ長い歴史と、その伝統を未来へつなごうとする造り手の姿勢でした。
平城京に始まる米の酒造り、正暦寺が築いた醸造技術、江戸へと運ばれた奈良の酒。そして、時代の変化を乗り越えながら、自社ブランドの品質を守り、飲み手に寄り添う酒造りを続けてきた奈良豊澤酒造。その歴史の先に、代表銘柄「豊祝」があります。
酒は、単なる飲み物ではありません。造り手の思いがあり、土地の歴史があり、それを楽しむ人々の暮らしがあります。そして、一緒に食事をする人とのコミュニケーションを生み出す存在でもあります。
「おいしいSAKEウォーク in 大阪2026」は、全国の酒蔵と飲食店、そして参加者が直接出会い、酒と食の新しい楽しみ方を発見するイベントです。今回のトークショーは、酒ちょこの中の一杯だけでは見えてこない、酒の背景にある歴史や技術、造り手の思いに触れる貴重な機会となりました。
奈良酒の歴史を知り、造り手のこだわりを知り、実際に味わうことで、一杯の日本酒はさらに奥深いものになります。次に奈良の酒を手に取るときには、ぜひその長い歴史と、未来へ受け継がれていく酒造りの精神にも思いを馳せながら味わってみてはいかがでしょうか。
(Text. N.T.)




